「記憶のゆがみが少ない回答が得られる」
今回は前回の記事で取り上げたESM(経験サンプリング法)のメリットの1つ目である、「記憶のゆがみの影響が少ない回答が得られる」という点を少し掘り下げてみましょう。
ESMのメリットとして、第1に記憶のゆがみの影響が少ない回答を得ることができる点が挙げられます。
たとえば、「ある飲み物を購入する理由」を、マーケティング調査でよくあるような1回きりの調査でまとめて質問されても(例:「あなたは普段どのような理由で、ある飲料を購入していますか?」)、移動中、仕事中、運動後、空腹時、暑い場合、寒い場合、二日酔いの場合、心を落ち着けたいときなど、多様な状況での「ある飲み物を購入する経験」があって、それらすべての「ある飲み物を購入する経験」を細かく場合分けしながら消費者が覚えていることはまれでしょう。
つまり、1回きりの調査で明らかにできるのは、「細かいことはよくわからないが、全体としてこのようなイメージがある」という消費者(人々)のある対象に対する要約的なイメージです。
他方で、ESMを用いれば、たとえば「あなたは過去30分以内に飲料を購入しましたか? もししたならば、その理由は何ですか?」と質問することで、人々がある飲み物を購入した直後に、どのような飲料を、なぜ、どのような状況で購入したか、その時その場でリアルタイムに質問することができます。
すなわち、あやふやな記憶の影響をより排除した回答を得ることができます。 このようなESMを実施した結果、前回の記事の松島さんは、人々が飲み物を購入する理由が主に10パターンに分類できることを発見できるかもしれません。
この、1回きりの調査に伴う「記憶のゆがみ」の問題について、少しわかりにくいかもしれないので、別の例を挙げてみましょう。
たとえば、視聴率の測定を考えてみてください。ESMでは、たとえばテレビ番組を観るごとにその視聴体験を報告してもらいます。すなわち、1つのテレビ番組を観るごとに、その都度何を見たかについて、何度も何度も報告を求め、どのような状況で観たか、観てどのような印象を抱いたかを記録します。そのような記録を1ヶ月間継続し、「1ヶ月間のテレビ視聴経験」についてのかなり正確なデータを得ることが可能です。
それでは、ESMを用いずに、1度きりの調査で「過去1ヶ月間にどのようなテレビ番組を何度観たか」を質問されたらどうでしょうか? 記憶に曖昧な部分が残り、過去1ヶ月間に観たテレビ番組をすべて正確に報告はできないでしょう。一例として、印象に残ったテレビ番組は観たことを報告できても、つまらなかったテレビ番組は観たこと自体を忘れてしまうかもしれないでしょう。
実際に、感情的なピークをもたらす経験(一番エモーショナルな経験)が、一定期間にわたる経験の全体の印象を支配してしまう傾向がある(感情的な強度が低い経験は忘れ去られがちである)ことが多数の研究で報告されています (一例としてFredrickson, 2000)。このように、ESMで過去1ヶ月間何度も測定したテレビ番組視聴の都度の報告と、1回きりの調査で測定した過去1ヶ月間についてのテレビ番組視聴の要約的な報告は、必ずしも一致しないでしょう。
視聴率測定のように、それぞれの瞬間ごとの経験を正確に捉えるには、ESMのような時間的解像度(時間的な精度)が高い測定手法が適しているといえるでしょう。
実際に、視聴率測定を手がける大手企業であるニールセンは、ESMを視聴率測定に用いる試みも行っています。そこでは、テレビに装着された機器では決して捉えられない、ある人の「自宅で観たテレビ番組」「YouTubeで観たテレビの動画」「友人宅で観たテレビ番組」を網羅的に捉えられるESMによる視聴率測定の可能性が評価されています (Lovett & Peres, 2018)。自宅のテレビだけに装着された機械を通じてではなく、スマートフォンのアプリを通じて「テレビ視聴率」を測定すれば、自宅であろうが、YouTube動画であろうが、友人宅であろうが、ある個人のテレビ番組の視聴経験を継続的に追いかけることができるのです。
もちろん、記憶のゆがみの影響が少ないESMは、記憶のゆがみの影響が多い1回きりの調査より常に優れた魔法の手法ではありません。
ESMを含めた日常生活の研究手法を概説したアメリカの書籍の中で、1回きりの調査よりESMが優れているとする種の議論は「時代遅れ (outdated)」だと断じられています (Csikszentmihalyi, 2011)。むしろ、2つの測定法から得たデータのズレが多くのヒントをもたらしてくれます。
たとえば、ある研究では、まずESMの手法で、感じた痛みなどのネガティブな身体症状についての報告を小刻みに求めました (Howren & Suls, 2011)。加えて、ESMでの小刻みな測定が終了した後に、1回きりの調査で、(ESM実施期間中の)過去の一定期間にどれくらい痛みなどのネガティブな身体症状を経験したかについての要約的な報告(全体的な印象)を求めました。 その結果、不安傾向が強いと、1回きりの調査で測定した過去の一定期間の要約的な痛みの経験は過剰に報告しないが、ESMで小刻みに測定したその都度の痛みの経験を過剰報告することがわかりました。また、抑うつ傾向が強いと、ESMで小刻みに測定したその都度の痛みの経験を過剰報告しないが、1回きりの調査で測定した過去の一定期間の要約的な痛みの経験を過剰報告することが明らかになりました。
少し大雑把に言えば、不安気分は現在の経験におけるネガティブさの過大評価と関連し、抑うつ気分は過去のまとめて思い出した経験におけるネガティブさの過大評価と関連する可能性があるといえるでしょう。
小難しい話をしたかもしれません。いずれにせよ、ESMと1回きりの調査は人々(消費者)の心の異なった側面を測定しており、1回きりの調査に加えてESMという武器を手に入れることで、より豊かな調査や研究が可能になることは間違いないといえるでしょう。
Csikszentmihalyi, M. (2011). Handbook of research methods for studying daily life: Guilford Press.
Fredrickson, B. L. (2000). Extracting meaning from past affective experiences: The importance of peaks, ends, and specific emotions. Cognition and Emotion, 14, 577-606.
Howren, M. B., & Suls, J. (2011). The symptom perception hypothesis revised: depression and anxiety play different roles in concurrent and retrospective physical symptom reporting. Journal of Personality and Social Psychology, 100, 182-195.
Lovett, M. J., & Peres, R. (2018). Mobile diaries – Benchmark against metered measurements: An empirical investigation. International Journal of Research in Marketing, 35, 224-241.